心の支えを失ったとしても、前に進んでいく。
このところ、お世話になった方々の不幸が続き、気持ちが晴れない日々が続いておりました。
馬場重雄元議長のご逝去の報には驚きました。告別式にも参列しましたが、故人を偲んで多くの方が来られていました。
馬場さんは初当選後、一番最初に声をかけて頂いた先輩議員でした。
「俺の会派で一緒にやって欲しいけど、個性的なメンバーが多いから、無理に入らんでよか。でも、しょっちゅう声をかけるけん意見交換ばしようで」と、同期の園田議員ともども、随分と可愛がっていただきました。
一般質問が終わった後は、必ず採点してくれました。質問後に自席に戻ると、馬場さんがふらっとやって来る。そして、多くは語りませんが、必ず質問に関する一言があり、まるで担任の先生のようでした。
「今日はよかところば突いたぞぉ。理事者がついていっとらん。もう一回、突っ込んでよかぞ」
「今日は消化不良でしたなぁ。寝不足やったか?(笑)」
大村市議会が開催しているタウンミーティング「市民と議会のつどい」では、同じグループだったので色んな思い出があります。ある会場で、参加された市民の方が、議決に対してあまりにも無茶苦茶な主張をされていたことがありました。
馬場さんは隣の席に座る私に、耳打ち…。
「村崎君、はっきり言うてよかぞ。言われっぱなしじゃいかん。ちゃんと、議会の姿勢を伝えんば…。言い過ぎた時にはおい(俺)がなんとかするけん」
と言って下さって、その議決に至った背景と論拠を説明させてもらいました。。それでも感情的な主張をされる方だったので、「ご自身が選挙に出られたり、賛同する方を増やされたらいかがですか?」とはっきり申し上げたら、馬場さんがすかさずフォローしてくださりました。
2011年になってから、
「もう、次の選挙は出らん。わっかもんに後は任せるけんの」と言われた時は、驚きではなく寂しさに包まれました。
馬場さんの勇退挨拶には、全身が震えました。名指しをされたこともそうですが、園田議員と私が話していたことを盛り込んでくださって、私たちに対する激励だったんだろうなぁと、何度か読み返していました。長いですが、大村市議会会議録より引用させて頂きます。
平成23年3月24日…。
◆7番(馬場重雄君) 登壇
こういう席を準備していただきまして、本当にありがたく思っております。また、先ほどは市長さんからもありがたいお言葉をいただきまして、心から感謝を申し上げたいと思っております。思い返せば、あんまり市長さんとは仲がよくなかったわけでございますが、最後にそういうお言葉をかけていただいて大変ありがたく思っておりますし、そういう思い方をしていただいておったんだなということに心からの感謝を申し上げたいと思っております。
20年間この責を務めさせていただいたわけでございますけれども、思い起こせば、長いようで短いというのが今の心境でございます。20年前ここに立ったとき何を考えたかなというのを、一生懸命ここ何日間か思い返してみましたけれども、何も思いつかんというのが現状でございます。20年の間に先輩たちがここに立って、いろいろとお話をされたわけでございまして、僕もこの席に立ったときに、何の話をするかなというようなことを常々考えてきましたが、これをもって何にもございません。
ただ思うのは、大村市がすばらしい地域になってくれればなという思いが一番でございます。常日ごろから、議員の皆様方もそれを目標に活動をされているわけでございますけれども、なかなかその気持ちが市民に伝わっていかないというのが今の現状ではないかなというふうに思っております。特に今期は、若い議員さんたちが中心になって、議会の改革をしなければいけないということで取り組んでいただいたわけでございますけれども、まだまだ市民の皆様にはその心意気が伝わっていないなと思っております。できれば今の議会の思いを市民の皆様にいかにつなげていくかなという努力も、それぞれまた皆様方にはしていただきたいと思いますし、私も、やめた後には一つの職責として、そういう気持ちを市民の皆様に伝えることができればなというふうにも思っております。
よく言われる言葉に、「選挙は何のためにするんだ」ということをよく言われるわけでございます。1つは、自分が政治に携わりたいというのが、まず第1点であろうと思います。2番目に来るのが、自分の支持者のために何が出来るのかなと、この2つが、今までの大きな議員の命題だったと思っています。ただ、昨今の市民の求めというのは、それとプラス何かを求めているのが今の市民の心情ではないかなというふうに思います。昔は、それぞれ支持者の要望とかお願いとか、そういうものを実現するために一生懸命やってきたというのが議員の姿であったろうなと思っております。ただ、今の現状は、それだけでは市民の皆様に理解をしていただけないというのが今の状況ではないかなと思います。
では何をするかとなれば、それ以外にするのは、市全体のことにいかに自分が携わっていけるか。よく村崎君たちが言います、企画立案能力を持たなければいけないということにつながっていくんではないかなというふうに思っております。やめる人間があんまり言うべきじゃないかもしれませんけれども、やめる者の愚痴というようなことで聞いていただければありがたいかなと思っております。局長が多分時間を見ながら、早くやめろと言うんじゃなかろうかと思いますけれども、もうこの場に立つことはないわけでございますので、もう少し話をさせていただこうかなと思います。
先ほど永石議員も震災のことにちょっと触れましたけれども、今度の震災で、日本人がある意味変われるところもあるのではないかなというふうに思いながら、新聞、テレビ等を見ております。特に近隣の諸外国の日本に対する評価というものが、今度の震災でかなり変ってくる可能性があるんじゃないかなと思っております。特に中国のネット上での発言といいますか書き込みに、日本人の昔から持っていたすばらしさというものも改めて認識をしていただいたんではないかなと思いますし、私たちも再度そういう気持ちを新たに自分の心の中に持つ必要があるんではないかなと思っております。脈々として私たちの先人が築いてきた日本人の文化、考え方というものをもっと大事にしていくべきではないかなと思います。特に勤勉さ、律儀さ、正直さ、こういうものを大事にしていく必要があるんじゃないかなというふうに思います。
議会は、市民の良識の最高の場であろうというふうに思います。そこにいる議員がそれなりの自覚を持たないことには、市全体もよくなっていかないんではないかなと思います。私たちが若いころによく討議をするときに言った言葉が、「そこにいる人たちの能力以上には、そこはよくならないんだ」と。会社にしてもそうですし、組織にしてもそうですし、ひいては地域もそうだろうし、市役所も議会も私は一緒じゃないかなと思います。市の職員さんたちは一生懸命やってはいただいておりますけれども、市民の皆様から見れば、まだまだ要望、批判というものも多いんではないかなと思います。ただ、その矛先が今議会に集中して向いておるんじゃないかなと思います。
今度4月24日には、皆様方はそれぞれ審判を受けられるわけでございますけれども、一生懸命、捲土重来を期して再度この間に戻ってきていただいて、今私が愚痴を申しましたけれども、そういうことの一端でも酌んでいただいて、議会活動に取り組んでいただければ大変ありがたいかなというふうにも思っております。
20年前、ここに一番最初に立って質問したときのことはちょっと覚えておりますが、質問が終わると自席に戻って、部長さんにその話は聞かんでよかと言うたことだけはよく覚えておりまして、あの当時の部長さん、課長さんには大変失礼な発言をしたなというふうに今もって思っております。もう中には他界をされた先輩もたくさんいらっしゃるわけでございますけれども、その後の活動へ少しはお返しをすることができたんではないかなというふうにも思っております。
最後になりますけれども、皆様方の御健勝と御多幸を心から祈念いたしますとともに、皆様方と職員の皆様方に心からのお礼を申し上げてごあいさつにかえます。ありがとうございました。(拍手)(降壇)
馬場さんは、「本物の議会人」でした。あまりにも早すぎるお別れですが、下を向いちゃ行かんなぁと自分を奮い立たせています。
「今日はちょっと消化不良でしたな」という声が聞こえてこないよう、努力していきますね。
馬場さん、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。