高校卒業おめでとう。
君たちの人生という一つの舞台に、出演させて頂いたことを嬉しく思います。君が主演だとしたら、私の存在は小日向文世さんクラスの役どころといったところでしょうか(笑)うわ、わかりにくい例えか、これ。まぁ、いいや。
あえて、3月2日に書きました。3月1日に書いても、読まれないだろうし…。今日はお家で過ごす人も多いだろうから、暇な時に読んでちょうだいっ。
3月2日は私の父親の命日です。私が大村高校を卒業した翌日に亡くなりました。最後の会話は「おやじ、うっせー。あっちいけ」でした。
父親は私よりも背が高く、細身のスポーツマンでした。向陽学園で教員をしていました。私以上に健康でパワフルな人でしたが、あっけなく死にました。寝たら、そのまま亡くなるという想像できない人生の終演。
母に起こされました。母は消防署に連絡をしていました。私は、寝室に横たわる父親の身体に触れました。そのとき、父親の身体から想像以上の冷たさを感じました。その冷たさは今でも覚えています。
その時でした。前日に担任から受け取った卒業証書による、あまい卒業に浮かれていた気分が吹っ飛んでしまいました。そして、自分はあらゆるものから卒業せねばならぬと覚悟しました。
高校からの卒業。甘えからの卒業。経済依存からの卒業。受け身からの卒業。大村からの卒業…。
何を伝えたいのかというと、いつまでも自分を弱い立場、甘える立場にあることを当たり前だと思ってはいけないということ。高校までの人生はある程度、決められたものであったり、自分で選ぶ範囲が狭かったと思う。
ここから先の人生は、君の意志ひとつで大きく変わるということだ。そして、誰かに決めてもらうではなく、君自身が決めることから逃げないで欲しい。なぜ、勉強が必要か?私は、こう答える。決めるときの基準を自分の中に作るためである、と。
決めることをおそれない。決めるために、学問を続けてほしい。未来は、18歳の君たちの手の中にある。何かあろうと、なかろうと、村崎塾のドアは常に開いている。
高校卒業、おめでとう。