無念なり、9月議会閉会。市民交流プラザ・本町アパートの増額が認められる。

 

9月議会は閉会しました。議会最終日は扁桃腺を腫らしてしまい38度7分で出席。人にうつるものではないとは言え、本当はかなりきつい状態でした。

 

5年半の議員生活の中で、600本近くの議案に対して可否の意思表示をしてきました。これまで示してきた私の意思表示は、結果的に議会の意思と同じものでした。今回は2つの議案で私の意思と議会の意思が異なりました。

 

まずは一つ目。

 

大村市斎場の指定管理者を新たに認定する議案は、建設環境委員会で原案否決。理由は指定管理者制度そのものが斎場の運営に馴染まないというもの。これは理由としてはあまりに抽象的である。さらに市外、県外の業者が運営するのは不測の事態における対応が遅れるという指摘もなされた。ところが、指定管理者候補の業者は大村市内に事業所を設置する予定で進めていたという。そもそも、「大村市火葬場条例」の第3条において斎場の管理は指定管理者が行うと明記されている。斎場の管理は指定管理者が馴染まないとするなばら、大村市火葬場条例の改正を行うべきなのである。

 

本会議での採決の結果、可否同数。(11対11)5年半の議員生活の中で、初めての経験でした。可否同数の時は、議長が裁決します。結果的には、議長採決で否決となりました。

 

続いて2つ目。

 

補正予算の議案です。前にも書きましたが、本町アパート・市民交流プラザ建設にかかる基礎工事など2.2億円の増額予算。4会派合同(大政クラブ、市政クラブ、公明党、おおむら未来の会)10名の議員で増額予算を削除した修正案を提出しました。しかし、10対12で否決されました。最終的に原案の採決になりましたが、筋を通すことに決めていたので反対しました。反対したのは里脇議員、大崎議員、伊川議員、北村議員、私でした。

 

明らかな行政サイドのミスで2.2億円の増額が必要になったわけです。(市長も謝罪しています)3月議会の当初予算の時には、不完全な予算案であることがわかっていたのに、そのまま議会に説明をしたわけです。その時になぜ増額の事実を公表しなかったのか不思議でなりません。

 

こういう時は既に認めている8億円の当初予算を含め、やり直して議論するべきである。と、議会運営に精通した専門家からアドバイスを頂いていました。確かに大前提が崩壊しているわけですから、一から議論をし直すべきであると思いました。議会としては、じっくり議論するよりも、この計画を少しでも早く進めるべきであるという考えが多数を占めた、それ以外の何物でもありません。

 

議会で決まったことには粛々と従うのみです。ただ、私に投票してくださった市民の意思が議決に反映できなかったことに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいです。私の力不足です。これからは、街頭演説などで私の意思表示に至った過程は説明してまいりたいと思います。

 

どうしても、「小説フランス革命」第2巻のセリフが思い出される。今はこの言葉に救いを求めるような心地である。

 

 

ミラボーは大きな手を差し出して、その先を制した。 「どうやら議論というものの作法を心得ていないようだ。いいかい、ロベスピエール君。

 

大切なのは議論を通して、最善の結論が得られることだ。

 

ところが、ひとりの人間の意見が常に最善ということはありえない。ゆえに反対意見が必要になる。言葉を足せば、反対意見というものは、見落とされていた点に注意を促し、あるいは足りないところを補い、そうすることで結論をより完成に高めるためにあるんだ。論者と論者は対立関係にあるんじゃない。むしろ共闘関係にある」 「それは、ええ、そうかもしれませんが・・・・・・」 「かもしれないじゃなくて、そうなんだ。ああ、それこそ民主主義的な議論の方法というものさ。

 

逆に君の頭にあるのは、論争なんじゃないかなあ。

 

ひとりの権威が高論を唱える。また別な権威が別な高論を唱える。どちらが正しいか、喧嘩になる。あげくに強いほうの権威は勝ち、弱いほうの権威は負ける。不可避的に勝者と敗者が出る。致命的な欠陥があったとしても、勝者の理屈は貫徹され、貴重な指摘をなしていようと、敗者の理屈は省みられることがない。それが論争であり、つまり論争とは封建的なものなんだよ。現に貴族どもは、そうやって第三身分を黙らせてきたわけだからね。自分たちの利益ばかり、追求してきたわけだからね」  理屈としては、納得するしかなかった。が、それと同時に、なんだか煙に巻かれたような気がした。それがミラボーの本音なのだろうかと、なおロベスピエールとしては疑念を禁じえなかったのだ。

 

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